2014年12月06日

ルカイ族秘道−21:イラ社(伊拉)

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【写真説明】左写真は、隘寮北渓北岸から谷川大橋=新省道24号線とイラ集落、その横を走る旧24号線を俯瞰する。中央写真は、曾て谷川大橋以前に隘寮北渓を跨いでいた一号橋を越えると待ち構えていた霧台郷入口を示す大門、2001年10月撮影、今は無く、右写真は2014年6月にその大門付近から曾て一号橋が架かっていた方向を撮影。同写真奥の高峰は徳文山(標高1,246メートル)。尚、イラ社位置については、左メニュー『古道俯瞰図』、「ルカイ族秘道→[1]」をクリック。
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2014年12月13日

ルカイ族秘道−22:イラ社(伊拉)−2

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【写真説明】前の記事で書いたように、以前は、筆者のような余所者が件の大門をくぐる時には些かとも異境へ踏み込む高揚感があったのだ。その門をくぐった後に通過するイラ集落は寒村然としていたが、それはそれで自然な感じがしたものだ。今は、豪華な高架橋と真新しい大サイズの谷川部落への指導標が掛かったが、寒村然とした佇まいは以前通りなので、逆にそのギャップが大いに不自然になってしまった。左写真はイラ社の「メイン・ストリート」で2001年の撮影、何故メインなのかと云うとこの街路やや奥、写真左側に教会へ通じる横小路が付いているからだ。中央写真は同じメイン・ストリートを2014年に撮影、十三年の差があるが、谷川大橋を支える巨大な橋梁がにょきりと生えた以外、何も変わっていない。右写真は同じ街路上に面した壁に描かれたルカイ族カップル。下掲写真は、2001年と2014年の谷川長老教会。新ためて、既に少なくとも十年以上も前から「谷川」の呼称が使われていたことを認識した次第。尚、イラ社位置については、左メニュー『古道俯瞰図』、「ルカイ族秘道→[1]」をクリック。(続く)

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2014年12月20日

ルカイ族秘道−23:ラブアン社(大武村)

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【写真説明】左写真は省道24号線を神山集落に向かい高度を上げていくと、隘寮北渓対岸の河岸段丘上に向かい合う二つの集落が見え出す。新旧(新集落が左側)の佳暮村である。中央写真は、霧台集落下の24号線から分岐している大武村へ降りる霧台大武(略称「霧大」)連絡道入口。右写真は阿礼大崩壊部から望む霧大連絡道の九十九折と、隘寮北渓底に集落を形成する大武村下大武集落。尚、大武村位置については、左メニュー『古道俯瞰図』、「ルカイ族秘道→[1]」をクリック。
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2014年12月27日

ルカイ族秘道−24:ラブアン社(大武村)−2

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【写真説明】大武村へ至るには、霧台、佳暮の各々から辿る連絡道があったが、後者はモーラコット台風で崩壊、今は霧台からのアクセスのみ可能。左写真は、霧台−大武連絡道から望んだ大武村全景、同写真右側集落が上大武(東川)、左側が下大武(小山)、写真手前の吊橋が、前回紹介した古仁人橋、上大武集落の左下に移る赤い線は、これも今年竣工した塔羅羅湾(タララワン)橋。右写真は、大武村下大武集落に至る今年竣工したばかりの古仁人橋。大武村位置については、左メニュー『古道俯瞰図』、「ルカイ族秘道→[1]」をクリック
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