2012年10月06日

合歓山越嶺古道−39(霧社−2)

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【写真説明】霧ヶ岡神社参道左脇に残る日本時代の建築物。徳龍宮の方の話だと、警官宿舎とのこと。場所は、丁度現在の警察署(霧社分局)の上部に位置するので、当時の霧社分室と現在の霧社分局は同位置と予想しても外れていないかもしれない。左写真と中央写真は同一家屋。

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2012年10月13日

合歓山越嶺古道−40(霧社−3)

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【写真説明】旧霧社公学校跡である台湾電力万大発電廠第二弁公室構内。左写真は構内から正門を望む。中央写真は、構内裏側に残る松の大木。右写真は、日本式家屋の台電職員宿舎だと思うが、戦前からのものかどうか?は疑問。

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2012年10月20日

合歓山越嶺古道−41(霧社−4)

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【写真説明】左写真は、埔里方面から霧社を目指し最後の坂を登り切った場所にある「南投県仁愛郷清潔隊」事務所。中央写真は当該事務所向かって右側に設けられている公園で、草は生えるに任せてある。この公園の上がり口脇に設けられた案内板に依ると「霧社事件殉難殉職者之墓」の跡地と謂う事になる。ところが然る同事務所女性職員が、慰霊碑の実際の位置だと教えてくれた場所には、当該事務所の裏の路地にある、その路地を隔てて向かい側の家屋の白壁から僅かに(嘗て慰霊碑を構成していたであろう)階段の一部が飛び出していた。本文記事下掲の写真は、清潔隊事務所横に立つ同慰霊碑の案内板。

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2012年10月27日

南澳古道(比亜毫古道)−1

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【写真説明】蘇花古道たる蘇花公路こと省道9号線を花蓮方面から北上し南澳渓が造り出した南澳の平野部に向かって道路が下りに掛かると、南澳南渓を渡り切りサヨンの鐘で知られる武塔のサービス・エリアに入る前に、南澳南渓右岸沿いを遡る宜蘭県郷道57号線の入口がある。南澳郷金洋村(日本時代のキンヤン社の移遷地)への入口である。その村で写した三枚。左写真指導標の真ん中の「旧武塔古道」とは即ち「南澳古道」であり同時に「比亜毫古道」である。この57号線は南澳南渓右岸を忠実に7キロ程遡り終点になり、そのまま産業道路に引き継がれる。そこから約4キロ程度で古道入口に着く事になっているのだが、本文記事下の掲載写真のような状況でこの4キロ途中で断念。

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