2012年04月07日

合歓山越嶺古道−35(饅頭山)

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【写真説明】饅頭山、荻坂山と連続するタッキリ渓右岸の山稜山腹に一直線に延びる合歓越道路が開鑿されていたが、元々はタロコ族が永年使用してきた連絡道だった。ここに掲載した三枚の写真は、今でも目を凝らしてみると嘗ての警備道の痕跡を辿れるという証拠を示したものだ。廻頭湾を後にし豁然亭(「合歓山越嶺古道−11」)を過ぎると中横は再びタッキリ渓上部に出て来る。そこでタッキリ渓対岸を撮影した。左写真の一番左側の瘤が饅頭山、その一個置いて右隣の瘤が荻坂山である。中央写真、並びに右写真は古道が走る饅頭山山腹を撮影、斜面を写真右上から左下へ横切る道路跡が確認出来る(と思う)。

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2012年04月14日

パイワン族秘道−49:大亀文王国−1

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【写真説明】現在の屏東県獅子郷内文村内にある2000年に建てられた「獅子郷内文村遷村五十三週年記念誌」。誌碑に依ると、中華民国36年(1947年、昭和22年)、戦後間も無く、旧村から現在の地への移村が決定されたとある。右写真は現在の内文村の様子。

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2012年04月21日

パイワン族秘道−50:大亀文王国−2

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【写真説明】左写真は旧内文社跡が存在するだろうと当りを付けた屏東県獅子郷内獅村の入口ゲート。中央写真と右写真は同村内の派出所兼鉄馬駅(台湾の各所に設けられたサイクリング・ステーション)。中央写真奥に写る海は台湾海峡。ここで旧内文社と予想される地への行き方と、案内人無しで立ち入っても良い許可を貰った。但し、聞き出した旧社までの距離情報は心細い。

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2012年04月28日

パイワン族秘道−51:大亀文王国−3

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【写真説明】内獅村旧社、日本時代の内獅頭社に残る内獅頭公学校跡の三枚。日本時代建立の門柱に嵌め込まれたプレートの「高雄州潮州郡」とは、日本時代の当地の行政区域名である。この校庭でパイワン族伝統の儀式を執り行い、大亀文王国の首都、旧内文社に分け入るのが尋魂の旅の通例のようだ。つまり、内獅頭公学校跡が尋魂の旅の起点というわけだ。

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