2012年02月04日
合歓山越嶺古道−26(梅園竹村歩道−5)
【写真説明】[梅園-1] 梅園竹村歩道と蓮花池歩道の分岐から大崩壊部を経て次のマイルストーンは梅園、この間約3キロの距離だ。大崩壊部を抜けてからはそれまでとは多少景観が変化する。上掲左写真は梅園付近から梅園竹村歩道入口方向を振り返ったもの。歩道の両側には嘗ては瑞々しい畑が散開していたと思うのだが、今は、投げやり的な調子で所々明らかに人の手になる作物が栽培されている。同中央写真は唐辛子が栽培されている様子。
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2012年02月11日
合歓山越嶺古道−27(梅園竹村歩道−6)
【写真説明】[梅園-2]古道俯瞰図をアップしたので、左側メニューの「合歓山越嶺古道」をクリックしてまず梅園の位置を確認して欲しい。俯瞰図では山里社(下梅園)と記載したが、梅園の現在の正式行政区域名は、花蓮県秀林郷富世村梅園である。まず秀林郷というのは、花蓮県北端の郷で宜蘭県と接している、花蓮県のみならず台湾最大面積の郷鎮だそうだ。次に、富世村だが、その秀林郷中最大面積を擁する村で、タロコ渓谷をすっぽり包含している。「富世」とはタッキリ渓河口近くにあったブセガン社の頭二文字の漢音訳である。因みに、タロコ国家公園は大部分が秀林郷内にあるが、実際は花蓮県+南投県+台中市を跨いでいる。尚、今回掲載した写真は数個しかない梅園部落の中の一戸の庭先で昼食を摂らして貰った時に撮影した。(続く)
2012年02月18日
合歓山越嶺古道−28(梅園竹村歩道−7)
【写真説明】左写真、忠孝吊橋入口で若い夫婦に出会う。忠孝吊橋は「合歓山越嶺古道−25(梅園竹村歩道−4)」左写真で紹介した警告板写真に採用された。タウサイ渓左岸の支流に掛かる吊橋先端が進行方向左側から雪崩れ込んできた土砂で断裂していた。それが中央写真である。右写真は忠孝吊橋に並行に残る日本時代敷設の鉄線橋残骸。梅園竹村歩道上で確認出来る日本時代の遺構は先に紹介した梅園駐在所跡とこの吊橋のみだった。
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