2010年10月02日

『水の古道』曹公[土川]−5

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【写真説明】前回記事で紹介した竣功記念碑がある場所から然程遠からぬ場所、同じ省道21号線沿線に竹寮取水站がある。浄水道施設である。高屏渓−旧鉄橋湿地教育園区−曹公[土川]に連なる点景である。ここに掲載した写真をご覧になれば判ると思うが、このような形で現役のままで残存しているのには実に驚く。点景という表現をしたが、堂々たる古建築群である。

ゴシック様式と中国様式の折衷と言われる本館を始め施設全体の殆どが当時のままのユニークな建築物が、忽然と幹線自動車脇に立ち現われる。1911年(明治44年)竣工、高屏渓の伏流水を汲み上げ浄水場へ送り込み高雄地区の上水に供してきた施設なのだが、施設の地味な役割に比して建築物外観が当時も今もモダンであり続ける設計者のセンスに感心する。

左写真は施設正門から入ってすぐ目に入る建物。純日本風家屋が豪華な煉瓦とコンクリート構造物の上に鎮座しているのがおもしろい。国旗掲揚台も日本時代からのもの。右写真はこの施設がいまだに現役であることを示す為に掲載した。(続く)
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2010年10月09日

『水の古道』曹公[土川]−6

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【写真説明】左写真は九曲堂駅の近くにある残るパイナップル工場遺構。九曲堂は日本時代、南台湾を代表する缶詰パイナップルの大産地だった。『水の古道』曹公[土川]−2に掲載した写真の九曲堂駅前広場の白亜の像を思い出して欲しい。当該遺構は、もともとは泰芳商会第三、四(鳳梨)缶詰工場だった。経営者は台湾人。その後、台湾合同鳳梨株式会社の事務所として使われた。但し、当時、九曲堂駅周辺にあった缶詰会社は泰芳商会だけではなかった。日本資本も併せ6社が犇めいていたそうだ。詳細は本文記事並びに参考サイトを参照して欲しい。右写真は駅前通りに立つ煉瓦を利用した観光の為の意匠。何故、煉瓦なのか?一つは、旧パイナップル缶詰工場遺構の延長線上にある。もう一つは次回紹介する予定である。

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2010年10月16日

『水の古道』曹公[土川]−7

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【写真説明】台湾歴史建築百景の指定されている三和瓦窯 (三和瓦廠)、赤煉瓦を作り続けて百年、これまで紹介してきた事跡と同様、省道21号線沿いにある。実際は旧鉄橋下と言ってしまっても差支えない場所である。右写真は三基ある窯の内の一つ。念の為に断っておくが、古蹟ではなく、現役の工場である。

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2010年10月23日

挑塩古道−1

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【写真説明】2004年5月に苗栗県三義市街の木彫博物館脇に設えられた「四月雪小径」で撮影した油桐(アブラギリ)の花。ウィキペディアに曰く「台湾で『桐』という字はアブラギリを指す。台湾を代表する植物である。」が、日本にも自生する。今や、台湾では油桐花は客家文化と抱き合わせになり、まるで苗栗県の専売特許の様相を呈しているが、実際は初夏になると台湾各地で見られる。台湾を代表するようなイメージを帯び始めたのは、日本時代、油採取の為に栽培が奨励されたからというのが私の聞き齧りの知識なのだが、手元にその確証を持ち合わせていない。いずれにしても、満開の油桐花は純白故、実に心が洗われる気分になる。因みに、博物館の名前が示す通り、三義には木彫工房、販売店が集中する。私はこの博物館の駐車場を台湾北部に出掛ける際の露営地として愛用している。

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2010年10月30日

挑塩古道−2

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【写真説明】挑塩古道を示すモニュメントと古道指導標。前者は通霄鎮と銅鑼郷の境界にある九華山(標高375メートル、大興善寺というお寺あり)への自動車道昇り口にあり、後者は現在整備されている挑塩古道の一番高所に設けられた展望台脇に立つ。モニュメントの透かしは前後二つの塩を盛った籠を担ぐ人である。

「挑」は「いどむ」以外に「かかげる」という訓読みがある。文字通り「塩の道」、沿岸部で精製される塩を塩の生産出来ない山間部へ運搬する為の道路だ。海岸線を持つ国ならばどこでも自然発生的に形成される道だとは思うが、台湾の塩の道として古道扱いされているのは現在の所、苗栗県のものだけのようだ。

但し、現在の古道が形成された当時からそう呼ばれていたのかどうかは大いに疑問である。現在の台湾の古道ブームの影響かどうか判らないが、「挑○古道」というのは各地でよく目にするようになった。同じ苗栗県三義では「挑炭古道」というのがあるし、その他、「挑柴古道」、「挑魚古道」と称されているのを筆者自身歩いたことがある。要は嘗てはこれらの物資を中心とした交易道であり、開発の波に洗われず運良く生き残った歩道のことだ。>(メルマガ「台湾の声」2009年1月12日掲載分『苗栗県の古道』の一部を改編)次回へ続く...

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