2010年06月05日
福巴越嶺古道−5
【写真説明】左写真は、台北県烏来郷信賢(旧ラハウ社)にある検問所前に立つ看板。台風で福山に至る車道が崩れていたがそれが復旧した為、その警告を解除する為に赤の警告板に黒のビニール袋を被せたもの。二枚目写真は福山側の古道入口表示。自動車道脇にある為、見落とすことはない。ここから入るとすぐに吊橋を渡り、福巴越嶺古道の通称福山段が始まる。台風で増水すると到る所で、沢が古道を横切る。右写真は私の指に食らい付き肥え太った山蛭。
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2010年06月12日
福巴越嶺古道−6
【写真説明】左写真はタイヤル族の村、ラハウ(信賢)の全景。左二枚目の写真はその集落内にある用途不明の明らかに嘗ての日本家屋をベースにした「秋月堂」。三枚目は日本時代は「黒橋」と呼ばれていた今はモダンな吊橋廊下に嵌め込まれたレリーフ。右写真はその黒橋である。
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2010年06月19日
『水の古道』白冷[土川]−1
【写真説明】恐らく21号線を跨ぐ白冷[土川]、「渡槽」と書かれているが「水橋」と言い換えてもいいのかもしれない。但し、水橋と書かれたものも別に存在する。「恐らく」と書いたのは8号線だったかもしれないからだ。自動車道が下りに掛かる場所にあったので前者だとは思う。同写真に写る自動車の奥にコンクリートの構造物が見えるが、日本時代のもの。そのまま道路端に案内板とともに「展示」してある台中県の歴史遺産である。これは嘘ではない。右写真はその拡大写真。まずは、白冷[土川]のさわりの二枚。
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2010年06月26日
『水の古道』白冷[土川]−2
【写真説明】これから数回の記事は写真を並べることが主になり記事自体は少ない。実際白冷[土川]の現場を訪ねたのはそれ程昔ではないのだが、何せ一度切りである。前回の記事で白冷[土川]は全長17キロだと書いたが、大体何処をどう走っているか、その後地図を睨んで大凡のコースがおぼろげながら想像出来るだけだ。訪ねた当時は、ただただ「白冷[土川]は何処?」という尋ね方しかしていないわけで、その都度教えられる場所が異なるので当時は混乱していたのだが、考えてみれば当たり前だ。17キロというのは途方もなく長いのだ。
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