2010年05月01日

パイワン族秘道−33:森丑之助「生蕃行脚」の世界-21

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【写真説明】さて、リキリキ社に関する最後の記事である。

パイワン族秘道−30」で紹介したリキリキ祠周辺は、二回目の踏査では季節柄、見通しがよくなっていた。但し、私は祠跡そのものには目もくれず、浸水営古道を帰化門営盤跡方向へ辿るのと頭骨架を見付けるのに忙しかった。前者については、モーラコット台風の影響でリキリキ社遥か上方に耕されている畑の下方が大きく土砂崩れを起こしており、そこで古道は完全に断裂していることが判った。頭骨架は、まあ、予想した通り見付けられなかった。これはやはり地元の方に同行を願わない限りまず不可能なことを新ためて認識したに過ぎない。

祠跡に戻ってみると、同行した者が、凄い発見をしたと興奮している。それが今回の左三枚の写真である。「碑」という文字のみが残り、その部分で折れた石碑が倒壊している。碑の本体はその下敷きになっており、しかも、どうも碑の表面が地面に接しているので、何の碑かは判らない。剥き出しになった碑の土台が碑の本体に乗り上げているので、重機でも持ってきて吊りあげなければ碑の正体は明らかに出来そうにない。逆に、よくもこんな形で引き倒しものだと感心してしまう。尤も、刻字は処々に散見されるのでそれらを寄せ集めれば碑が何の為に建てられたか、専門家なら判定出来るかもしれない。「昭和十四年十一月九日改建」の刻字がある。「巡査」の文字があるのは、これまで何回か紹介したことがあるように、当時の理蕃政策の表れだが、同時に家族の名前、年齢まで刻まれていることが、この碑の謂れを探り出す手掛かりかもしれない。尚、その下の「犬」は姓の一部。前回の記事で紹介した「力里抗日事件」と関係があるとしたら、日が隔たり過ぎているような気もするが、そこは「改建」で解決出来るのかもしれない。それ以上は考えなかった。

この碑とは別に、前回見せられた祠の土台周辺にもセメントの枠囲いが残っていることが判った。これで明らかに祠跡だと知れた。右写真がそれである。

教育所から細い急な階段を登ってくるとまず警備道(古道)に出会い、その正面に祠、左手がちょっとした空地になっており、そこに嘗て石碑が建てられていた。以上のような構図は最初の踏査では全然描けなかったものだ。それにしても、第一回目の踏査の際、何故村長さんはこの碑を紹介してくれなかったのだろう?とふと思った。(了)
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2010年05月08日

福巴越嶺古道−1

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【写真説明】左写真は台湾紅檜(ベニヒ)の一大原生林が残る拉拉山(ララ山)自然保護区入口ゲート。ゲートを通過する自動車道も福巴越嶺古道の一部である。左二枚の写真は古道沿線に林務局が500メートル置きに敷設した里程標。中央写真はララ山側古道入口の里程標、自然保護区内にあり、2004年3月撮影、敷設後間もなくまだ真新しい。右写真は、台北県烏来郷福山側入口の里程標で、2008年10月撮影。四年半で大分くたびれた。

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posted by 玉山 at 08:24| 台北 🌁| Comment(0) | TrackBack(0) | 福巴越嶺古道 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年05月15日

福巴越嶺古道−2

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【写真説明】左写真は上巴陵の三月下旬、水蜜桃の花咲く風景。同写真左奥の小山に向かってセリ上がっていく集落が上巴陵、この小山の頂上には嘗て付近のタイヤル族管制の為の砲台が置かれた。左から二枚目の写真は、ララ山自然保護区入口の公園管理処、日本時代のビヤサン駐在所跡地である。さて、右二枚の写真は、ララ山自然保護区内の台湾紅檜の大木をどう切り取ってこようかと悩んだ挙句に選んできたものだが、彼らに対して誠に申し訳ないと頭を垂れるしかないような代物だ。プロの写真家なら、樹齢数千年の大木を前にしてその大きさと古さを表現する手法を持ち合せているかもしれないが、バカチョン・デジカメしか持たない私では精々この程度だ。

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2010年05月22日

福巴越嶺古道−3

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【写真説明】ララ山口から古道を福山側へ辿るとやがてララ山-塔曼山間の鞍部に出会う。そこには小振りの気象観測用施設があるが、嘗てのタマン駐在所跡地だと思う。左二枚の写真はその間の古道の様子。二枚目に小さく写るピンクの小片は台湾山桜。三枚目の写真は、古道沿線の大木に今でも残る碍子(がいし)、日本時代に原住民管制の為に電線を張り巡らした名残りで台湾各地の山中に残る。当時は低い位置にあったはずだが、今では樹木の成長に伴い見上げなければ見付からない位置に移動してしまった。右写真は、前述の気象観測用施設。休憩所として絶好の場所。

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ラベル:台湾 台湾古道
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2010年05月29日

福巴越嶺古道−4

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【写真説明】福巴越嶺古道上の日本時代の駐在所跡地三枚。左はララ山駐在所入口。石塁、側溝等の遺構は残るが、入口自体を示すものがない上に入口は写真で見るような状況なのでで簡単に見落としてしまう。中央は、古道のほぼ中間点にある檜山駐在所。ここは指導標があり、一段高い広々とした駐在所跡地は休憩所としては最適である。右はチヤコン駐在所跡地。ここにも指導標はないが、誰かが掘り出した日本時代のガラス瓶が散在していた。

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