2010年03月06日
『水の古道』南投県双龍村−1
【写真説明】左写真は双龍国民小学校。校舎の壁に描かれているのはブヌン文字だそうだ。中央写真は双龍瀑布。現在の村名が先か、滝の名前が先か?滝の名前はその流れから来ているのだろうが、921地震で崩壊し随分滝相が変わったそうである。右写真はその滝から双龍村へ配水する為の水管を支える吊橋。同写真に写る山は水社山(標高2.059メートル)へ連なる峰々。水社山そのものの頂は未だに特定できずにいる。
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2010年03月13日
『水の古道』南投県双龍村−2
【写真説明】もし双龍村を訪ねれば、双龍滝からの水を村に配水する日本時代に作られた構造物は、興味があればこのブログの読者にも丁寧に紹介されるはずである。左一枚目の写真は村に姿を表した滝の水とそれを運んできた水路。この水路を滝側に辿るとやがて二枚目の写真に見る落とし口に行き当たる。辿って来た水路より一段高い場所に設けられた水路から水を落とす構造である。三枚目は下段水路と直角に合わさる水路とその水路脇の階段、いずれも日本時代に作られたものが現役で健在である。右写真は、その階段を登り切りった部分から水路、及び階段を見降ろしたもの。
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2010年03月20日
玉山古道−11
【写真説明】左写真は玉山国家公園管理処水里ビジター・センターの駐車場脇に設置されている日本時代の「新高山登山口」記念碑のレプリカ。レプリカの下段にはその由来が中文と英文で記されたステンレス製のプレートが嵌めこまれている。又、同レプリカ上段には「新高、阿里山國立公園 臺中口」と記された木製のプレートが掛かっている。「國家公園」ではなく「國立公園」である。「新高、阿里山國立公園」は大東亜戦争の影響で頓挫した幻の台湾国立公園システムである。残りの三枚の写真は日本時代設置のオリジナルの記念碑の現在の様子。水里ビジター・センターから16号線を南下すること五分程度の地点である。
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2010年03月27日
恒春卑南古道(阿朗伊古道)−26
【写真説明】左写真は屏東県牡丹郷四林村入口、同満州郷の郷公所から県道200号線を北上すればすぐに辿り着く。同村に残る「忠魂碑」、四林格事件での討伐側である日本サイドの殉職者慰霊碑。右写真は、最近、この忠魂碑と並べて建立された四林格社側の犠牲者の慰霊碑。大概は日本時代の慰霊碑は打ち壊されるか、抗日記念碑に模様替えさせられるのだが、これは珍しい例である。
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