2009年11月07日

関山越嶺古道−2

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【写真説明】南横の最高点、大関山トンネルの西口(左写真)と東口(右写真)。西口は車を停められるスペースはあるが、一般の観光客を引き留めるものは何もない。東口は台湾でも有数の雲海展望所。同写真に写る登山者は、かつての警備道最高所を経て関山嶺山(標高3,176メートル、台湾百岳76号)を目指す。中央写真は、西口脇の崩壊部。関山越警備道路はこの崩壊部上方を通っていたのだが、具体的にどの辺りかは見当が付かない。

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2009年11月14日

関山越嶺古道−3

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【写真説明】南台湾の雄峰、関山の威容を読者の方々に少しでも感じ取って貰いたい為に二枚選んだ。関山(標高3,668メートル、台湾百岳12号)は、これまでもこのブログで写真を紹介したことがある(例→)が、その全部が遠望だったので、ここではもう少し山容がはっきりしたものを掲載する。左写真は、向陽山(標高3,603メートル、百岳17号)直下から望んだ朝日を浴びる関山。なだらかなスロープを見せている。右写真は庫哈諾辛山(標高3,115メートル、百岳85号)近くから望んだ関山の大崩壊部。左写真とは対照的。

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2009年11月21日

関山越嶺古道−4

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【写真説明】左写真は古道東段起点、台東県海瑞郷(日本時代のハイトワン社)入口。旧警備道はここから新武呂渓を遡る。中央写真は、新武呂駐在所跡、現在の新武で見付けた。トタンで葺かれているが以前の駐在所の建物をそのまま使っているのには驚いた。一般のハイカーにとっは、関山越嶺古道=中之関古道、嘗ての全長170キロのうち僅かに4キロ弱を切り取ったに過ぎない。何故この段だけを千切ってきたかは、やはり古道西段が国家公園に内包されるからだろう。東段でこのくらいの古道を切り取ってくるのは然程難しいことではないとは考えている。但し、では東段の何処に古道が走っているかは一般向けの紹介で探し出すことは難しい。毛利之俊原著「東台湾展望」の中文復刻版を手元に、数度丁寧に南横沿線を辿ってみたことがあるが、なにせ、時間が余りにも限られている。写真は東段下段で車を運転しながら偶々見付けた東段の一部で、場所は嘗ての新武呂(現在の新武)とカホワザン(現在の嘉賓)の中間付近、自動車道左側岩壁上方に開鑿された警備道が見えている。正に今回の記事で紹介する「サクサク道路」だった部分だ。

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2009年11月28日

関山越嶺古道−5

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【写真説明】左写真は林古松氏のチームに拠る「玉山国家公園関山越嶺古道調査研究報告」表紙。実際、関山越嶺古道に関するこのような研究報告書がどれくらい存在するかは判らないが、一覧すれば随一のものであることが即座に判る大作。玉山国家公園最南のビジター・センターである梅山は嘗てマスボアル社があった場所。今でも駐在所跡と古道が残る。中央写真はマスボアル駐在所跡、梅山村外れからその駐在所跡脇を通る舗装された産業道路が嘗ての警備道。何処までこのような状態で車、或いはバイクで辿れるのか?は未だ試したことがない。マスボアル社はもともとは今の台東県側、台湾総督府に対する抵抗運動の際に一部中央山脈を越えて移遷してきたと、上記研究報告書にある。

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