2009年10月03日

パイワン族秘道−26:森丑之助「生蕃行脚」の世界-14

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【写真説明】「生蕃行脚」の終点になるカピアガン社(現泰武郷佳平)、クワルス社(同泰武)については既に以前の記事で紹介済みである。プンティ社(同佳興)旧社はまだ訪ねる機会が無い。現在のプンティ社で旧社に入るのにどのくらい掛かるか?と聞いたら、さあ、相当掛かると言われたので当時は諦めた。左、中央写真はその現在のプンティ社の道路脇に立つモニュメントと集落。「プンティ」の文字が読める。中央写真右奥稜線の最高点は戸亜山(標高985メートル)、戸亜とは「トアアウ」の漢音訳で、トアアウ社のあった場所、今は大後社と呼ばれている。「生蕃行脚」の中には出て来ない。その稜線の更に奥、雲に隠れた部分が来社山(標高1,854メートル)である。トアアウ社については追って紹介する機会があると思う。右写真は、現在のクワルス社(泰武)の派出所付近から北大武山を望んだものだが、下掲の記事中にある「正に屏風の如く立ち上がった」様は表現出来なかった。本ブログ中にも大武山の写真は相当数掲載してきたし、ブログ「台湾百岳」に掲載した写真で我慢して貰うしかない。

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2009年10月10日

『水の古道』二峰[土川](5)

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【写真説明】2009年8号台風「モーラコット」が台湾に齎した惨状は衆知である。私が確認しに出掛けたのは林辺渓と高屏渓沿線である。二峰[土川]の起点となる来義方面は実はG博士が先に出掛けて報告してくれていたので、大体は想像が付いていたが、現実は酷いものだった。

鳥居信平の地下ダムの様子と、地下ダム脇にある倒壊した取水塔はその象徴みたいなもので、既に平野久美子氏が自身のHPで紹介しておられる。鳥居信平の銅像が安置されていた来義国民小学校の校庭の半分程がえぐられ消失していたのには驚いた。その銅像は先の記事で紹介した公園入口に移されていた。

平野氏も書いておられるが、消失した(実は露出した地下ダムを來社渓が運んだ土砂が埋めてしまった)地下ダムと、倒壊し摺り落ちた格好になった取水塔を見れば、約九十年持ちこたえた画期的なシステムもとうとう幕を引かざるを得ないと誰もが思うが、実際は相変わらず水は滔々と流れ続けていた。その鮮烈な流れに新ためて驚嘆した。

以下掲載写真について簡単な説明を加える(1段目左から@、A、B、二段目左からC、D、E):

@来義小学校の傍にある公園に移された鳥居信平の銅像。二峰[土川](4)の写真と同一銅像。A川が運んだ土砂に地下ダムが埋もれた様子。二峰[土川](3)の1枚目の写真と比較して欲しい。B二峰[土川](1)の中央写真の水門を逆方向から望んだもの。水量に全く変化が無い。C途中、山側が土砂崩れを起こし二峰[土川]を埋めた格好になっている箇所があったが、水は流れ続ける。写真左手前に見える水路側面は日本時代のまま。Dその先の地下トンネルに流れ込む様子。[土川](3)の右端写真は同トンネルの出口である。これも日本時代のまま。E来社渓(林辺渓)をライ社方面に望む。川岸左側が来義国民小学校。川岸右側の崩壊部上辺にタナシウ社(現来義郷丹林社)に向かう登山道が付いており、丁度その登山道に沿った形で崩壊している。丹林村と来義村を繋ぐ左岸自動車道は消失している。(終わり)
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2009年10月17日

パイワン族秘道−27:森丑之助「生蕃行脚」の世界-15

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【写真説明】二峰[土川]のモーラコット台風(2009年8号)の影響を紹介した後に、タナシウ社を紹介するのには理由がある。それは前回少しだけ紹介したと思う。旧タナシウ社に到るには棚集山山頂に到る何本かのルートの内、今現在最も歩かれていない一本を辿ることになる。タナシウ社跡までの道は明瞭で、途中何箇所か「石板屋」の表示があるが、これが現在の丹林村の旧社跡と認識している登山者は少ないのではないかと思う。左写真は、そんな石板屋への表示の一例。中央写真は旧社への上がり口。右写真は旧住居跡。手前の台は祭壇として使用しているのかもしれない。現在の移遷先とそう離れていない為、プラスチック製の椅子とかが持ち込まれており、快適に涼を取れるようになっている。

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2009年10月24日

パイワン族秘道−28:森丑之助「生蕃行脚」の世界-16

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【写真説明】[タナシウ社] (屏東県来義郷丹林村)-2
左写真は来義郷丹林村復興社区、喜楽発発吾社、即ち二峰[土川]のふるさと、をタナシウ旧社に到る登山道から俯瞰したもの。『水の道』二峰[土川](5)で紹介した写真Eの川岸右手の崩壊部の更に上が撮影場所になる。2008年7月の撮影。同写真右側が来社渓(林辺渓)上流で、写真左上流にある地下ダムを通ってきた水は、同写真に写る集落の上辺沿いに流れている。来義国民小学校はすぐに判ると思う。鳥居信平の銅像が安置されている公園は右側集落外れにある。同写真右手前の耕地はモーラコット台風の餌食にされてしまった。中央写真は村の中心の拡大俯瞰、2008年10月の撮影。

右写真は棚集山(標高899メートル)頂上三角点と登山者。高雄・屏東地区の低山では写真に写るように椅子、テーブルを奇特な人が持ち込み、長い時間を掛けて談笑、食事を楽しむ。そのような人々の多くが百岳のような高山には興味がないのではないかと思う。頂上まで上がらず、中腹の休息所で日がな新聞を読んでいる登山客もいる。そのような風景は以前既に紹介した。要は、各個人の興味、体力、目的に応じ、各々山に居ることを楽しんでいるわけである。そんな台湾南部の低山はとにかく麓から頂上に到る登山道がやたら多いのが特徴だ。且つ登山道の随所にこれら写真に見られるような休憩所が設けられている。遮二無二頂上を目指す、それも出来るだけ高い場所を、という山の登り方は、このような楽しみ方とは程遠い。私など、山登りには対しては欲が深いので、未だにそんな楽しみ方が出来ないという反省がある。(了)
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2009年10月31日

関山越嶺古道−1

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【写真説明】台湾を代表する山岳自動車道、通称「南横」西段の観光名所の天池にある、南横建設時の犠牲者を祀った長青祠階段途中から望んだ塔関山(台湾百岳72号、標高3,222メートル)。私の初めての南横のイメージはこれに尽きる、非常に強烈だった。2001年11月のことである。このイメージが強烈だったわけではない。その強烈だったという記憶が何時までも残るのである。イメージ自体はこのように写真に残っているから何とか手繰り寄せられるが、例えば、もっと感覚に訴えるもの、味覚などは、記憶だけが、味覚に取って替わられる。私は、これを「やぶ金」効果と勝手に呼んでいる。当時、鹿児島市の百貨店の老舗、山形屋の地下だったか、その傍だったかは忘れたが、「やぶ金」という天婦羅屋があった。今でもあるようだ。子供の頃、母に連れられここの天丼を食ったことがある。子供心に、この世に斯様なうまいものがあるだろうか?と思った。それから成人して、父と一緒にこの店に立ち寄り、やはり天丼を食った。とてもじゃないが、うまいとは思えなかった。でも、本当に味が変わったのか?さもありなん、しかし、詰まるところ、味は記憶には勝てないのである。暫くは、様々な場所で、様々な天丼を食ったが、母と一緒に食べた「やぶ金」と同じ天丼と同じかそれを越える天丼は日本中捜してもありようがない。そう、今回掲載の写真は、南横の「やぶ金」なのである。カラー・デジタル写真を白黒に反転させたので、ファイル・サイズを節訳した分、これまで掲載してきた写真より大判で掲載した。

台湾の脊梁、中央山脈と雪山山脈を東西に横断する山岳自動車道路は「横貫公路」と呼ばれ、以下の三本がある(註):

「北部横貫公路(通称「北横」)」=省道7号線(区間:桃園県大渓−宜蘭市)
「中部横貫公路(通称「中横」)」=省道8号線(区間:台中県東勢−花蓮県新城)
「南部横貫公路(通称「南横」)」=省道20号線(区間:台南市−台東県海端)

これら三本の自動車道路建設の際ベースになったのは、日本時代の原住民族に対する警備道(「理蕃道」)で、これら元警備道は今は北から順に、角板山古道、合歓山越嶺古道、関山越嶺古道と通称されている。今回は南横のベースになった、日本時代の関山越警備道路、現在の関山越嶺古道を紹介することにする。

これまでのメルマガ「台湾の声」に投稿した台湾古道の記事は、その沿線に渡って点景を選びならが紹介する形をとっていたが、今回紹介する関山越嶺古道はその延長が長く当時の遺構がかなりの規模で残っており、これまでと同じような紹介のスタイルだとだらだらと長くなるので、今回は古道核心部と、実際歩かずとも車をちょこっと停めて嘗ての警備道の風貌を勘弁に観察出来る場所を二箇所だけ選んで紹介することにする。>(メルマガ「台湾の声」2009年5月9日掲載分の一部を改編)次回へ続く...
ラベル:台湾 台湾古道
posted by 玉山 at 09:59| 台北 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 関山越嶺古道 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする