2008年07月05日

パイワン族秘道−10:リキリキ社(現屏東県春日郷力里)

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【写真説明】左写真は旧リキリキ社への降り口に立つ指導標で、2005年11月の撮影。同じ場所を2008年6月に撮影したのが中央写真。指導標は筆者のへ背中側へ移動した。標高は約1,000メートル。右写真は当りを付けて辿った産業道路が里芋畑を横切る場所があり、そこからリキリキ渓谷を望んだもの。実際の旧社は写真左端の遥か下方にあるのだが、私は写真の右へ右へと道を辿ってしまった。同写真右側に駆け上がっていく稜線の最高所が石可見山(標高1,621メートル)で、同稜線の左側ピークの裏側にチカタン社(老七佳)がある。写真の一番奥の最高所は北大武山(3,092メートル)で、石見可山を越え北大武山に到る稜線は屏東県と台東県との境界でもある。森丑之助の「生蕃行脚」に「蕃社の位地としては渓に臨み、山間の険隘の地を選み、戦略的に要害の地を相するを常とする」とある。森丑乃助はリキリキ社の位置を凡そ2,000公尺と言っているので、現在の林道との標高差は300メートルぐらいあることになる。尚、リキリキ社、チカタン社を取り巻く地形はこの俯瞰図を参考にして欲しい。
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2008年07月12日

パイワン族秘道−11:リキリキ社(現屏東県春日郷力里)−2

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【写真説明】「老力里部落遺址入口意象導覧図」中にある「小社」部落跡と思しき場所の二葉。左写真の上側に大漢林道沿いの電柱が一本だけ写っているので、農作業小屋らしきものがある場所との高度差が凡そ判ると思う。二枚目の写真はその小屋の辺りまで降りてみたものである。最初はこの地が学校跡地かと考えたのだが、どうもそうではないらしい。何故、そう自信が無かったのかは、導覧図中にある「涼亭」を通過せずに降りてしまったからだ。常識的に考えれば涼亭は明らかに日本時代の遺物ではない、簡単に言えば屋根を持つ休憩所である。それで、この写真そのものが休憩所かなとも考えたがそうではあるまい。そこから更に下に下っていく道が見付けられないのだ。いずれにしても、今回見付けられなかったのは残念だったが、お楽しみが増えたわけで、そう自分を慰めながら山を下った。

森丑之助の「生蕃行脚」に謂う、「里芋はパイワン族蕃人の主要なる食品で、殊に其の種類も多様で良種に富んで居る。日常の食事にしても其大半は里芋で、皮の儘に煮て、外皮をむいて食ふのである。これは主食物として蕃薯より優ること数等で、食ふて腹具合と云ひ保ち方と云ひ蕃人の食物としては好適なものだと思ふ。」。これが右側写真である。口の悪い台湾人に言わせれば、何故マンゴーを栽培しないのか?其の方が儲かるのに、である。主食は何かを問題にしているはずなのだが。(終わり)
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2008年07月19日

パイワン族秘道−12:チカタン社(現屏東県春日郷七佳)

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【写真説明】左写真はチカタン社へ到る郷道途中からリキリキ渓谷を俯瞰したもの。同写真左側の最高所は石可見山(標高1,621メートル)、それより一段低いピークの左側山裾にチカタン社がある。又、同写真右側の最高所は大漢山(同1,688メートル)、それより下って来る稜線は力里山(同1,170メートル)に至るが写真に頂上は写っていない。同写真右側山裾下にリキリキ社がある。中央写真はチカタン社の中の一風景。森丑之助の「生蕃行脚」のリキリキ社の項に「頭目家の家の前には石盤石で積んだ小高き露台があってこれは指令塔の如きものである。必ず榕樹が植えてあって、この木は即ち頭目家の所在を示すシンボルなのである。」とあるが、実際これが頭目の家かどうかは自信が無い。右写真はチカタン社の登山口に到る自動車道脇で見掛けたパイワン族の粟(あわ)の畑。「生蕃行脚」に謂う、「此方面一帯の生蕃は粟、山薯、蕃薯、里芋を植え、これを主食物に充てて居る。」。
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2008年07月26日

浸水営古道−17:帰崇段−1

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【写真説明】浸水営古道西段最下段入口の写真二枚。左側写真は2003年3月の撮影。今はこの指導標は無くなり、代わりに中央写真(2008年4月)のものに取って換わられた。左側写真のものが一代目、中央写真の下側の案内板が二代目、その後ろの立派なものが三代目というわけである。右側写真はこの最下段の一風景。
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