2007年09月01日

崑崙拗古道−10

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【写真説明】左写真は台東県大武郷大鳥村入口に立つ鷹のモニュメント。右写真は大鳥国民小学校の校庭脇に残る日本時代に植えられた二本の樹木(樹の名前は忘れた)で、嘗てはここが大鳥駐在所の入口だった。
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2007年09月08日

崑崙拗古道−11

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【写真説明】左写真は台東県大武郷大武村に残る日本時代の大武神社の階段。階段上の建物は林務局大武工作站。そこが同時に、大武国家森林歩道の入口でもある。大層な名前の付いた歩道であるが、全長は僅か一キロ強、中央写真はその歩道途中から太平洋を望んだもの。天気さえ良ければ、台湾の東海岸、即ち太平洋岸の海の色は一様に素晴らしい。同写真の下側に写る案内板は大武郷の由来を説いている。左写真は、大武村に今でも残る日本時代の役場跡。但し、塀のみが当時のままである。
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2007年09月15日

能高越嶺古道−11:花岡富士

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【写真説明】左写真は南投県仁愛郷春陽村で撮影したもの。この地が嘗てどういう土地であったかを連想させる唯一の便(よすが)。「富士山」の上の文字「荷戈」は旧ホーゴー(社)の漢音表記。「史努」(SNU)の意味は判らない、聖なるの意か?「風」は「風中緋櫻」に引っ掛けてあると思われるので、この看板、その放映後に設えられたのかもしれない。中央に写る山が「花岡富士」、その下の写真はこの山の頂上に到る遊歩道である。但し、何故か、この遊歩道、山へ到る道しるべの類は一切設置されていない。中央写真は、盧山温泉に更に近付いた地点から望んだ花岡富士(写真右上の尖った山)と濁水渓両岸に跨る春陽村の全景。但し、人口が密集しているのは、同写真では写っていない写真右上の省道14号線沿いである。右写真は花岡富士頂上。
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2007年09月22日

能高越嶺古道−12:雲龍橋

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【写真説明】新旧の雲龍橋。現在のものはアーチ橋、旧のものは吊橋、但し、旧橋の方も戦後架け替えられたもので、日本時代は「スーク鉄線橋」と呼ばれた吊橋で、主塔が残る側の上流域に居住していたスーク社と対岸のボアルン社との間の連絡道であった。共に霧社事件当時蜂起した部落である。
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2007年09月29日

能高越嶺古道−13:富士温泉

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【写真説明】左写真は、台湾中部の有数の温泉街、盧山温泉の中に設けられた公園内で見掛けた日本時代の石碑。この地が嘗て「富士温泉」と呼ばれたことが判る。右写真は同公園内に建てられている蒋公行館。その前身は日本時代の警察招待所で、復元されたもののようであるが判然としない。松と石垣だけが日本時代の名残りである。
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