2007年03月03日

浸水営古道−14

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【写真説明】左写真は現在の屏東県春日郷古華村入口。日本時代のコワバル社が源(みなもと)。但し、春日郷の他のパイワン族村落と同様、平地に移遷してきた後の集落である。枋寮を過ぎ省道1号線を少しだけ南に下るとこの1号線と交差する屏東県郷道146号線があり、そこを東側に入ると古華村入口である。左写真右側の道路がそれで、そのままマンゴーの畑を両側に見ながら平坦地を山間(やまあい)に向かって数キロ進むと「旧古華村」に着く。それが中央写真で、この案内板のある場所から146号線は士文村(日本時代のスボン社、又は率芒社)に向かって山を登り始める。つまり、旧古華村の一部は既に平地であり、コワバル社の当地、現代台湾風の地名の付け方では「老古華村」と呼べるものは山中深くにあるのであろうが、この案内板横に立つ地図上にある「古道」を丁寧に辿るしかなさそうだ。右写真は旧古華村内に残る教会遺構。
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2007年03月08日

浸水営古道−15

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【写真説明】旧力里部落(リキリキ社)の正確な位置を割り出すのに、当時撮影された写真を参考にする方法があることに思い当り、東京大学総合研究博物館の古写真アーカイブ(左「お気に入りリンク」を参照:同博物館のHPからアーカイブに入る方法はこのブログの一番下を参照)を探してみたら出てきた。このアーカイブの台湾の部は鳥居龍蔵コレクションである。リキリキ社と説明のある写真は三枚(写真番号7077、7054、7465)しかないが、同7075「帰化門社の人々」に始まる連続した写真は少なくとも同7083まではリキリキ社とその周辺で撮影されたと想像出来る。当時、原住民族村落で撮られた写真はもしバックに山の稜線が写っていれば撮影場所を特定出来るケースが非常に多いことをこれまでの経験で知った。殆どの場合、開発の手が入り山容が変わったということがないからだ。
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2007年03月15日

浸水営古道−16

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【写真説明】左写真は屏東県東港鎮、大鵬湾国家風景区にある「二次大戦軍事遺蹟」内の「本部連」と名付けられた建物。案内板に拠ると「日本海軍第六十一航空場東廠支場本部」とあり、戦後は台湾空軍参謀大学等に利用された説明されている。戦後かなり改築されてはいるとは思う。私が訪れた時はこの建物の付近で数人が水彩スケッチを楽しんでいた。右写真は同遺蹟内の広大なエプロン。同写真の右側は大鵬湾に面しており、嘗て日本海軍の水上艇が繋留されていた。写真の水上艇を模した建造物は、この地が大鵬湾国家風景区に接収された後に作られたアトラクション用のもの。この嘗てのエプロンは今は駐車場兼イベント用の広場である。
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2007年03月23日

能高越嶺古道−1

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【写真説明】能高越嶺古道西側入口、トンバラ(現代表記:屯原)の地に立つ国家歩道の道標。「ok」ではなく、「0キロ」の意である。道標上にある四角形のマークの拡大が右イラスト。色違いの四つのモチーフで構成され、それを一本の道が貫く。濃い緑が中央山脈、薄緑が西側(台湾海峡側)の低山、青が東側、太平洋に臨む険しい海岸線、原住民が茶色で表現されている。国家歩道に指定された道路にはこのシンボル・マークの付けられた左写真と同様の道標が、500メートルから1キロごとに敷設されている。
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2007年03月30日

能高越嶺古道−2

kodou-62.JPG【写真説明】能高越嶺古道の途中から霧社方面の灯を見下ろした写真。午前四時過ぎに撮影。霧社は既に標高が1,000メートルを越えているが、古道入口のトンバラは標高2,000メートルあるので、正に「見下ろす」ということになる。古道自体も霧社事件縁(ゆかり)の地である。暗闇の中で彼の地を歩くというのは実際勇気のいることである。


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