【写真説明】六儀社営盤。林務局の案内板に拠ると兵士数30人の駐屯地。大漢山林道がこの営盤を貫く形で通っており、道路脇の両側(大漢山方向に左端の谷側と右端の山側:写真は山側に残る営盤)の藪の中に何の変哲もない石積みが残る。この営盤を谷側へ少し下るとオリジナルの古道跡が出現する。今は全く歩かれていないが、旧リキリキ社へ通じる道である。リキリキ社跡は、過去何度か別なルートから入り込もうとしたが果たせず、六儀社営盤を調べているうちに期せずしてこのパイワン族の旧村へ辿る手掛かりが掴めた。
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2007年01月05日
2007年01月12日
浸水営古道−7
【写真説明】左写真は出水坡神社跡と思われる石積み。出水坡は国家歩道に指定されている現在の浸水営古道のほぼ中間点、本古道中最大規模の日本時代の遺蹟が残る。「出水坡神社跡」の道標は当地に一基あるが、それに続く道標が無く、山の中を歩き廻り私が勝手に特定したので本当に神社跡かは自信が無い。写真下に映る石は階段の一部、写真中央を横切る石積みは祠を取り巻いていたもの、写真上の樹木下の石が祠の台に当たると思われる。祠を支えていた石積みは樹の根が跨り殆ど崩壊している。右写真は出水坡駐在所跡。この周辺には大小様々な石積みが残る。その一部は清軍の出水坡営盤のはずだが、残念ながら素人では判断出来ない。
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2007年01月23日
浸水営古道−8
【写真説明】1月であったが、浸水営古道の沿線には何種類もの蘭が花を付けていた。その中から四種類を選んだ。三種かもしれない。私の父は蘭には詳しく自身で山に分け入りよく採ってきては家の庭に植えていた。今では違法行為であるが、私もそのお供に与った。もう三十年以上も前の話である。それらの蘭は今でも父の庭で花を咲かせる。それ故、蘭には愛着があるが、父のように蘭を耽溺する程までには到らなかった。従って、ここに掲載した三種、乃至は四種の蘭の名前は判らない。
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2007年01月30日
浸水営古道−9
【写真説明】私が浸水営古道を東側から辿ったのは2006年1月、丁度この日新しい吊橋がチアチアカトアン渓に掛かった(左写真)。現在の古道への実質的な入口であり、今はここまで車の乗り入れが可能になっている。この新しい橋の対岸に日本時代の橋桁が残っており(写真右)、逆光で読みにくいが左側橋桁に「大正十五年三月竣効」(1926年)とある。右側の橋桁には恐らく「姑仔崙橋」の銘があったと思われるが、判読出来ない。
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