2016年08月06日

六亀特別警備道−28:「府中」

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2016年07月30日

六亀特別警備道−27:六亀特別警備道藤枝段−2

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【写真説明】繰り返すが、筆者がこれまで踏査済みの六亀特別警備道古道部分の中で、丸子分遺所から府中分遺所間は白眉である。西側谷側と東側山側の石塁の残存状態は見事である。無論、国家森林遊楽区内の遊歩道として整備されているのも大いに手伝っているのは否定しない。大正五年(1916年)の開通から、正に百年、この段を歩くとその歴史が匂い立つようである。今回はそのような雰囲気が醸し出されていると筆者が自画自賛している三枚を選んで掲載した。尚、林務局の国家森林遊楽区の解説では、全長65キロの警備線(隘勇線)上に五十三箇所の「分駐所」と四箇所の「監督所」が置かれたとあるが、ウィキペディアでは「分駐所」は「分遺所或いは駐在所」と言い換えられている。分遺所が正しいと思う。下掲写真は、古道上に設けられた排水溝、古道保存の為の方法例。
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2016年07月23日

六亀特別警備道−26:「鞠子(丸子)」

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【写真説明】左写真は、六亀警備道と西施花歩道分岐点から北側に警備道を辿ると警備道はすぐに下りに掛かるが、その下り部分の石段。同写真正面が東藤枝山山頂側。中央写真は丸子分遺所跡地を示す指導標、分遺所を「Police Station」と英訳してある。右写真は丸子分遺所跡地。空き地以外の遺蹟は見当たらず。
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2016年07月16日

六亀特別警備道−25:六亀特別警備道藤枝段

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【写真説明】左写真は東藤枝山山頂北側から始まる六亀警備道藤枝段起点付近、「西施花」と名付けられた遊歩道と重なっている部分。中央写真は同じ警備道部分を東藤枝山山頂を背にして撮影した。ハイカーが写り込んでいるので、この警備道部分の道路幅が非常に広いことが判る。これら二枚の写真に写る路側の石塁は日本時代のもの。頂上から稜線伝いに警備道兼遊歩道を緩やかに下ると、それら二本の分岐点に出会う。右側が遊歩道、稜線伝いに敷設されている。左側が六亀警備道、稜線西側に開削されている。下掲写真は、上掲右写真の指導標の拡大写真、筆者が藤枝国家森林遊楽区内で初めて目にした同警備道の指導標である。
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2016年07月09日

六亀特別警備道−24:東藤枝山

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【写真説明】左写真は東藤枝山山頂(標高1,804メートル)南側の二階建て休憩所。台湾原住民族(この場合、ルカイ族・ブヌン族と謂うべきか?)の石板屋の意匠。中央写真は頂上北側の廊下と眺望台。廊下はそのまま東藤枝山北側稜線沿いの遊歩道に繋がり、そこから六亀特別警備道の残存部になるのだが、実は同写真に写る廊下の下も正真正銘の同警備道だ。右写真は眺望台下にある三角点。
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2016年07月02日

六亀特別警備道−23:「岡部」

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【写真説明】藤枝国家森林遊楽区内のすべての案内板は左写真のようにモーラコット台風以降の閉園の為に黒のビニールでカバーされている。中央写真は、岡部分遣所と東藤枝山頂上間に敷設されている木製階段、同遊楽区内にも同様の階段が敷設され遊楽客の便宜に供している。右写真は、第二十一宿「岡部」分遣所跡地。
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2016年06月25日

六亀特別警備道−22:藤枝国家森林遊楽区

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【写真説明】恐らく藤枝国家森林遊楽区入口(右写真)まで乗り入れている自動車道の一部は未だに修復中(左写真)でかなり歩かされるだろうと覚悟していたら正にその通りだった。遊楽区入口に至るまでそのまま工事中の自動車道を三キロ弱歩かされる。それが嫌であれば、自動車道途中に出入口が設けられている遊歩道(中央写真;右奥に写るのが東藤枝山)に入り小山を一つ越える方法がある。この遊歩道も園区の一部ではあるが、入園せずに歩けるようになっている。筆者は往きは後者を帰りに前者を選んだが酷く疲れた。園区入口から更に園区外側を走る林道を歩かされ、民家を一軒横切り、やっと秘密の園区入口(下掲写真)に至る。同写真に写る二基の立札は、林務局に依る罰金六千元の公告。
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2016年06月18日

『水の古道』后里[土/川]−7

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【写真説明】泰安旧駅構内に駄菓子屋風の茶店があり、そこに明らかに子供の気を引く為の意匠の飲料水が並べられていた。その飲料水の製造元は左写真、更に詳しい解説カードが中央写真、その解説カードの右側の拡大写真が右写真である。要するに飲料水とは「ラムネ」なのだが、台湾国語では「弾珠汽水」、「弾」とはあの独特なラムネ瓶の括れた部分に嵌め込まれた目玉のことだ。面白いと思ったのは、「大補内」の漢字を充て「ダブル」と読ませていることだ。しかもカタカナ書きである。
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2016年06月11日

『水の古道』后里[土/川]−6

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【写真説明】左写真は泰安鉄道文化園区に抱合される「隘勇古道」出入口の様子。同写真左側に立つ鉄道信号灯を模した文化園区の標示柱が見える。左二枚目写真左側は隘勇古道石段、中央奥の白い案内板は台中県文化局のものだが、最早読めない。その右横に「大正五年総督府」石碑が佇む。作りが荒く損傷が激しく、「総督府」の文字(右二枚目写真)は殆ど読めない。石碑裏側の「大正五年」(右写真)はまだ読める。セメントと小石、それに鉄筋を加え製作されている。三角点に代表される台湾総督府時代の官製石柱は本ブログでも時折紹介するが、岩石から丸ごと切り出され製作されているので、斯様な仕様の石柱には驚いた。
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2016年06月04日

『水の古道』后里[土/川]−5

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【写真説明】左写真は后里[土/川]磚橋を南側から望む。中央写真は[土/川]磚橋の近影、橋を向こう側に渡ると旧山線、全長518.6メートルの八号隧道に出会う。右写真は、旧山線と后里[土/川]の交差点、線路の向かい側が泰安旧駅方面、草茫々で最早歩けない、又、筆者の背中に八号隧道北側出入口がある。下掲左写真はその八号隧道、右写真は隧道上部に掛かる台湾総督中川健蔵揮毫の「大安洞」の額、「安洞」の部分は故意に削り取られている。同隧道南側にも同じ額が掛かると謂う。
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2016年05月28日

『水の古道』后里[土/川]−4

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【写真説明】后里[土/川]渡槽。色々な呼称が巷にはある。「后里水橋」もその一つ。二つを合わせて、渡水橋とも。実はこのブログで、渡槽、或いは水橋を紹介するのは初めてではない。例えば「白冷[土/川]」でも紹介済み。左写真は渡槽入口付近の景観、水門と案内板。同写真奥に薄っすらと滝が掛かっているのが覗ける。中央写真は渡槽本体、水路に沿い垂直に渡してある桟を利用すれば向こう側に渡れないこともないが、水路はその先で山を穿つ。右写真は渡槽東側側面のアーチ。三枚の写真とも筆者背中が泰安旧駅方面。下掲載左写真は、上掲左写真に写る滝の拡大写真、右写真は渡槽下の渓谷の景観、同写真右奥に写る壁も日本時代のもの。
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2016年05月21日

『水の古道』后里[土/川]−3

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【写真説明】左並びに中央写真は、初回投稿后里[土/川]−1の記事の中で、このカテゴリーを新設したか?を述べた下りの中で言及されている灌漑用水路の様子。泰安旧駅構内東側山沿いに構内、並びに構内前後は鉄道に並ぶような形で一段高い場所に開削されている。明治42年(1909年)完工、つまり旧山線とほぼ同じ開削時期である。中央写真に写る水管の縁の加工は日本時代のもの。右写真は旧山線が大安渓を渡る付近にある、大安渓から后里[土/川]への引込み水門の一つ。下掲写真はその水門を介し、泰安旧駅周辺の街中に引き込まれる里[土/川]支線の一本。
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2016年05月14日

『水の古道』后里[土/川]−2

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【写真説明】今回は、撮影当日雨天の影響で冴えない出来栄えの昭和13年創建、台中市三級古蹟指定、泰安旧駅駅舎内外の写真と、後続の投稿に備える為に、街中の民家脇と駅前の福興路脇を流れる后里[土/川]支線の二つを本文下に掲載した。下掲左写真手前に写る花弁は、観光客が積んだもので、プルメリア、台湾では鶏蛋花(鶏卵花)と呼ぶ。
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2016年05月07日

『水の古道』后里[土/川]−1

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【写真説明】明治38年(1905年)開通、昭和10年(1935年)の震災で橋梁のみを残し断裂した現在魚藤坪断橋(龍騰断橋)と呼ばれる縦貫線山線遺構。苗栗県三義郷龍騰村所在。上掲左写真の手前に写る鉄橋(龍騰渓鉄橋)は、震災後に架け替えられ1998年に廃線となった旧山線。下掲を含め他の写真は同断橋の角度を変えた拡大写真。以上四枚は何れも2004年5月撮影。
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タグ:台湾 苗栗
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2016年04月30日

六義山(鹿鳴山)−4

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【写真説明】六義山頂上の岩石群上には、それ等表面に刻字された落書きがある。左写真は往路の際、唯一気付いたもので、「清静宮」と読めるので、土地公かと考えた。復路の際、それ等岩石群の多くに刻字があることに気付いた。中央写真は「大正二年」の刻字あり、右写真には「登山」と大書きされている。同写真の拡大写真はブログ記事本文下に刻字が浮き出るようにコントラストを上げモノクロで掲載した。
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2016年04月23日

六義山(鹿鳴山)−3

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【写真説明】左写真は、頂上から北側に暫く進んだ登山道の様子。中央写真は、頂上から北側へ下り緩やかな稜線上に出た処で出会う、猿滑り(百日紅)、登山道に沿い街路樹風に並んでいる。右写真は北側登山口近くで潜ることになる梅林。
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2016年04月16日

六義山(鹿鳴山)−2

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【写真説明】左写真は六義山頂上の様子。「六義」に纏わるであろう紀念碑一本と日本時代から現代を映す三本の指標が立つ。中央写真は陸地測量部(現国土地理院)埋定の三等三角点、右写真は台湾省政府(今は実質消滅)に依る「保護区界」碑、これまで弊ブログ(古道+百岳)で何度も言及したが、日本が台湾を放棄した前後の社会の質差異を如実に物語る簡便な対比だ。
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2016年04月09日

六義山(鹿鳴山)−1

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【写真説明】林務局の古道、登山道を抱合する歩道系統は判り難い。大別して、台湾百岳、八通関古道等を含む大型古道を抱合した「国家歩道系統」と六義山を含む「全国歩道系統」に分けられているが、同サイトを日本語版に切り替えると、国家歩道系統のみが表示され、全国歩道系統は何故か消えてしまう。いずれにしても両系統とも林務局管轄であり、指標等は統一されている。今回掲載写真は、六義山歩道に設えられた同登山道南側入口柴霞付近の指導標、里程標を拾ったもの。右側写真の指導標が何を意味するのか?全段歩き通した後も判らなかった。
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2016年04月02日

『水の古道』八堡[土/川]−5

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【写真説明】中央写真は、彰化県道152線上に出ている八二彎古道の標示板(左写真)に従い、八卦山脈南端から取り付き丘陵上に至るべく北進、大園巷を横断する橋上から見た八堡一[土/川]。右写真は、二水市街地の中を走る八堡二[土/川]。古[土/川]の佇まいを色濃く残す。台湾鉄道二水駅から光文路を南下、渓邊巷と交わる地点で撮影。
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2016年03月26日

『水の古道』八堡[土/川]−4

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前回掲載した写真をあくまで単なる記録として撮影し終わった所で、面白い物を見付けた。八堡二[土/川]取水口正面、彰化県道152線上に隆興橋と云う一見何の変哲も無い短い橋が架かる。四本の橋柱の内、一本には鉄製のオレンジ色に塗られた意匠でカバーされており(左写真)、単なる観光用意匠かと気にも留め無かった。この橋柱と同じ側の反対の橋柱を見ると、「中華民国十三年一月竣工」とプレートが填め込まれていた(中央写真、同写真奥に林先生廟入口が写る)。民国13年とは大正13年である。試しにその何の特徴もありそうに無い橋の下を覗いて見て驚いた。日本時代建造の橋台がそのまま使われている!(右写真)つまり、観光用意匠かと思しき鉄製カバーは橋柱の崩落を防ぐ為の保護が主たる目的ではないのか!?(続く)
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2016年03月19日

『水の古道』八堡[土/川]−3

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【写真説明】本ブログ左メニュー『古道俯瞰図』に八堡[土/川]概念図を掲載した。これで同古[土/川]の在処が少なからずイメージ出来ると思う。左写真は、彰化県道152号線を隔てて、林先生廟・彰化農田水利会真正面にある八堡[土/川]、八堡一[土/川]、八堡二[土/川]の分岐点の取水口の様子。八堡一、二[土/川]の取水口が結合している。中央写真は、一[土/川]、右写真は、二[土/川]の各々の取水口。両写真の奥に見えている水路は、八堡[土/川]。台湾有数の古[土/川]と雖も、今は一般人には普通の水門と水路である。(続く)
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2016年03月12日

『水の古道』八堡[土/川]−2

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【写真説明】前回記事で八堡[土/川]、八堡一[土/川]、八堡二[土/川]の分岐点は彰化県農田水利会ビル前にあると書いたが、日本時代の同水利組合を襲ったものだ。同構内のユニークな点は、日本時代、大正8年(1919年)に建立、その後民国64年(1975年)に新装した「林先生廟」を内包している事である。林先生に関しては本文記事参照。実際、この廟が主役で、構内には他に八堡[土/川]に因む事物が配されている。左写真は水利会入口の門牌、水利会では無く、林先生廟なのだ。その廟は同写真左奥に写る。中央写真は同廟正面、廟に掛かる「林先生廟」の額は日本時代のもの。右写真は廟正面を背にし左手にある、八堡[土/川]源頭碑、何時の時代の物かは判らず。何故ここが源頭か?源頭は濁水渓のはずでは?という具合に皆目見当がつかなかったが、地図を見て、確かに八堡[土/川]の西端になるだけではなく、現在の八堡一[土/川]こそが、実は元々の八堡[土/川]と云う解説を目にし合点が言った。
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2016年03月05日

『水の古道』八堡[土/川]−1

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【写真説明】八堡[土/川]は基本的には、彰化・雲林両県の県境を形成する濁水渓から水を引き込み、彰化県最南部の灌漑に供されてきた水路である。地図を眺めると、現在、構造的には、八堡[土/川]引水道、八堡[土/川]、八堡一[土/川]、八堡二[土/川]から成り、後者三[土/川の分岐点(と水利専門用語では言わないはず)は、台湾鉄道集集線源泉駅付近、彰化県道152線沿いにある彰化県農田水利会ビル前である。同[土/川の見学をするなら、素人向けには適当な地点だと思う。他方、引水道を通じ引き込まれた水が八堡[土/川]に配水される場所は、水路・水門の集合体で、筆者を含む一般人には単にコンクリートの塊の間を文字通り濁水が滔々と流れているだけにしか見えない(左写真)が、そんな中に、日本時代建造水門(正式には、右写真に見える「取入口制排水門」か?)と思われるものと、同じく日本時代建立の記念碑らしきもの(右写真、中華民国21年は昭和7年)があった。
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タグ:彰化 八堡
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2016年02月27日

パイワン族秘道−94:クスクス社−8

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【写真説明】五年前はクスクス祠の本殿を支える基壇上には、地元芸術家の手になるものと思われるオブジェが乗っかっていたのだが、堂々たる本物の本殿が眩しく設えてあり、驚いた。日本から有志の方達が持ち込んだのか?そこら辺りの事情は台湾、日本のネット上から容易に探し出して来れそうだとも思ったが、未着手。左写真は、祠西側に設けられた展望台から祠越しに望んだ東側の永久屋群。名付けて、「野牡丹神社公園」。(終わり)
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2016年02月20日

パイワン族秘道−93:クスクス社−7

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【写真説明】左写真は高士村南側から望んだ。同写真左側が高士(佛)部落、やや下方右側が上部落。中央写真はクスクス祠(神社)の西側に敷設されたの永久屋群、パイワン族秘道−45掲載右写真がその建設途上のもの。右写真は、クスクス祠東側に敷設された永久屋各戸に共通に設けられた手摺の意匠、シイタケ(椎茸)である。
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2016年02月13日

八卦山古道−7(碧山古道−2)

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【写真説明】前回投稿で写真を掲載した古恩公廟を西側起点とする碧山古道は左写真のようにアスファルト敷きの農道から始まり、やがて地肌が剥き出し道路両側を鵝卵石で補強された古道然とした景観になる。中央写真は、挑水古道との間を結ぶ鵝卵石に依る階段の一本、「鵝卵天梯」の例。碧山古道から挑水古道を見降ろしたもの。苗栗県下の「挑塩古道−3」「−5」で紹介した階段構造と同一。右写真は碧山古道が東側起点に向かい下り勾配を開始する辺りのの同古道景観。(終わり)
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2016年02月06日

八卦山古道−6(碧山古道)

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【写真説明】左写真は碧山古道東側出入口の指導標。何故、碧山と云う名が付いているのかは未だに不明。余談だが、台湾の最高峰玉山(新高山)の英語名はMt. Morrison(アメリカ籍商船の船長名)なのだが、漢字の直訳そのままにMt. Jadeという英語名を嘗て見たことがある。それを漢字訳にするとMt. Jade、碧山になり、筆者が一時期自前の会社名にしていたことがある。中央写真は、碧山古道西側入口となっている、由緒正しき土地公(その名も「古恩公廟」)、その廟の前は板敷のベランダを擁した休憩所になっており、右写真の挑水古道所縁の石像が設えられてある。
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2016年01月30日

八卦山古道−5(挑水古道−4)

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【写真説明】左写真は西側入口に向かう最後の登り坂で古道全線で最も勾配が大きい。枕木と煉瓦を利用し整備、この坂を登り切ると古道西側のハイカー用の駐車場に出る。そこからは畑になりそこを突っ切ると、古道西側出入口の芬園郷大竹村の県道139号線に出る。出入口付近には複数の意匠を凝らした指導標が敷設されており、中央写真(古道西側出入口を背にした古道最終段)と右写真(県道沿い)はその例。2010年3月に整備完了。二本の県道を繋ぐように整備された挑水古道は僅か二キロだが、東側から西側へ向かい登り一方なので往復するとかなりの運動量になりそうだ。(続く)
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2016年01月23日

八卦山古道−4(挑水古道−3)

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【写真説明】左写真は挑水古道謂れの古井戸二基を擁した休憩所、今は同写真右側に写るポンプを利用し水を汲み上げハイカーがお茶を立てる。中央写真と右写真は実際の井戸の様子。乾季には水が枯れてしまうようなことが休憩所脇に立てられた案内板の一つに書かれてあったが、乾季であるはずの台湾冬季の今、僅かばかり水を湛えていた。
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2016年01月16日

八卦山古道−3(挑水古道−2)

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【写真説明】挑水古道の全長は僅かに二キロ、しかもその全段がアスファルトとコンクリートに依る舗装道路、その東側半分は自動車の乗り入れも可能。。。そう古道らしからぬ古道である。その歴史を知らぬままに歩けば、街中の静かな公園を歩いているのと大差は無い。古道は東出入口から緩やかな登り一方、左写真は古道の歩き始めの光景、古道沿線には各々異なる意匠の休憩所が設けてあり、中央写真と右写真はその中の二基、同右写真は乗用車が乗り入れられる最終地点から古道西側出入口方面を望んだもの、そこから登坂がきつくなる。
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posted by 玉山 at 00:00| 台北 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 八卦山古道 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする