2012年05月19日

パイワン族秘道−54:大亀文王国−6

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【写真説明】左一枚目写真は、自動車駐車地点から約一時間歩いた地点まではバイクの走行も可能、バイク乗り入れ最後地点。7時40分に駐車地点を出発、8時35分にバイク乗り入れ最終地点に着いた。この歩行時間は、「大亀文王国プロジェクト」サイト内の尋根記録と一致する。二枚目写真は、藪を切り払いながら内文社への旧警備道を進む阮理事長。途中、樹相は種々変化する。三枚目写真は相思樹の群生、パイワン族が古来植樹したものだ。右写真、突然松が顕れ驚くが、戦後のものだと思う。バイク乗り入れ最終地点から内文社入口までの旧警備道は崩壊部も多く、藪がすっかり歩道を覆い隠してある場所もあり、少々不便で歩行自体を楽しめない。お陰で、「大亀文王国プロジェクト」サイト内の尋根記録では、この間の歩行は約半時間なのだが、我々の場合、一時間を越してしまった。8時35分出発、9時45分着。歩行合計二時間強で内文社入口へ辿り着いた。この間、これまでの記事を視覚化する為に、内獅村から内文社へ至る簡便なダイヤグラムを掲載した。内文社に位置については、前掲サイト内にあるGPSデータ、東経:120度43分、北緯:22度19分から割り出した。(続く)
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2012年05月12日

パイワン族秘道−53:大亀文王国−5

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【写真説明】大亀文王国の中の一つ、「霧里乙」社跡の三枚。筆者の手元の日本時代地形図にはこのままの漢字に「プリイツ」の振り仮名が振られている。内頭獅公学校前から産業道路を辿ること二キロ弱の場所にある。左写真が産業道路上に現れた旧社入口。中央写真は旧社への降り口。右写真の左側が頭目の住居跡だと思う。というのは、阮理事長曰く、旧社跡で最も大きな石板が立てられたのが頭目の家で、自身の家はその隣(隣か、向かい側か?)だと。

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2012年05月05日

パイワン族秘道−52:大亀文王国−4

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【写真説明】旧内獅頭社跡。初回訪問時はその在り処が判らなかったのだが、普通乗用車で乗り入れが可能なので、草木が定期的に切り払われ家屋跡が保存されている場所が散在していた。左写真は自動車通行可能な道路(産業道路)脇にある家屋跡。同写真中央に写る表示板はこの住居の持ち主とその家族の家系図が示されている。この手の表示板は私がこれまで訪ねたパイワン族旧社では初めて目にするものだ。中央写真は自動車道から離れ更に奥にある住居群へ通じる道で草木が丁寧に刈り取られている。右写真は中央写真奥にある住居跡の一例。尚、これまで掲載した記事の現集落、旧集落の位置関係をざっくり理解して貰えるようダイヤグラムを掲載した。

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2012年04月28日

パイワン族秘道−51:大亀文王国−3

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【写真説明】内獅村旧社、日本時代の内獅頭社に残る内獅頭公学校跡の三枚。日本時代建立の門柱に嵌め込まれたプレートの「高雄州潮州郡」とは、日本時代の当地の行政区域名である。この校庭でパイワン族伝統の儀式を執り行い、大亀文王国の首都、旧内文社に分け入るのが尋魂の旅の通例のようだ。つまり、内獅頭公学校跡が尋魂の旅の起点というわけだ。

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2012年04月21日

パイワン族秘道−50:大亀文王国−2

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【写真説明】左写真は旧内文社跡が存在するだろうと当りを付けた屏東県獅子郷内獅村の入口ゲート。中央写真と右写真は同村内の派出所兼鉄馬駅(台湾の各所に設けられたサイクリング・ステーション)。中央写真奥に写る海は台湾海峡。ここで旧内文社と予想される地への行き方と、案内人無しで立ち入っても良い許可を貰った。但し、聞き出した旧社までの距離情報は心細い。

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2012年04月14日

パイワン族秘道−49:大亀文王国−1

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【写真説明】現在の屏東県獅子郷内文村内にある2000年に建てられた「獅子郷内文村遷村五十三週年記念誌」。誌碑に依ると、中華民国36年(1947年、昭和22年)、戦後間も無く、旧村から現在の地への移村が決定されたとある。右写真は現在の内文村の様子。

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2012年04月07日

合歓山越嶺古道−35(饅頭山)

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【写真説明】饅頭山、荻坂山と連続するタッキリ渓右岸の山稜山腹に一直線に延びる合歓越道路が開鑿されていたが、元々はタロコ族が永年使用してきた連絡道だった。ここに掲載した三枚の写真は、今でも目を凝らしてみると嘗ての警備道の痕跡を辿れるという証拠を示したものだ。廻頭湾を後にし豁然亭(「合歓山越嶺古道−11」)を過ぎると中横は再びタッキリ渓上部に出て来る。そこでタッキリ渓対岸を撮影した。左写真の一番左側の瘤が饅頭山、その一個置いて右隣の瘤が荻坂山である。中央写真、並びに右写真は古道が走る饅頭山山腹を撮影、斜面を写真右上から左下へ横切る道路跡が確認出来る(と思う)。

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2012年03月31日

合歓山越嶺古道−34(梅園竹村歩道−13)

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【写真説明】タウサイ駐在所跡へ至る道路の様子。この両脇に嘗て家屋が並んでいたが、現代風なコンクリート製家屋が数軒残るのみで後は軒並み空き地である。左側写真に写る道路は私が迷い込んだ部落の最高所で、この道路脇にある電柱で電線が切れていた。ネット上の写真は2009年5月、私の撮影が2011年10月、その間二年半の時間が経っているが、今でも路面が完全に露出しているので、誰かが定期的に道路脇から覆いかぶさる萱を切っていることになる。

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2012年03月24日

合歓山越嶺古道−33(梅園竹村歩道−12)

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【写真説明】旧タウサイ社天主堂は当地住民の数に比してよく管理が行き届いている。急速にここの住民が他地方に転出していったのはつい最近のことだと思われる。日本風に言えば典型的な過疎地域ということになろう。本文記事下写真二枚も同じ、下掲右側は同教会裏の様子。

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2012年03月17日

合歓山越嶺古道−32(梅園竹村歩道−11)

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【写真説明】旧タウサイ社の現況を三枚。左写真は村入口の三叉路に立つ十字架。中央写真は水蜜桃畑越しに来し方を仰ぐ。右写真は村の中の今は住人無き家屋。このように完全な家屋は殆ど無いので、往時の村の様子を想像するのは難しい。

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2012年03月10日

合歓山越嶺古道−31(梅園竹村歩道−10)

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【写真説明】左写真に写る手前二本の柱は日本時代鉄線橋の橋柱、奥は現在の仁愛吊橋。右写真右写真は陶塞吊橋橋柱付近、小振りの柱が日本時代遺構に相当するようだ。本文記事下掲写真は台湾サイト中で見付けた陶塞吊橋の日本時代橋柱の紹介記事。

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2012年03月03日

合歓山越嶺古道−30(梅園竹村歩道−9)

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【写真説明】トウサイ渓に掛かる最後にして最大、最長の陶塞吊橋。対岸が旧トウサイ社、現竹村(上梅園)。その橋上からトウサイ渓上流(中央写真)と下流(右写真)を望む。

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2012年02月25日

合歓山越嶺古道−29(梅園竹村歩道−8)

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【写真説明】左写真は忠孝吊橋を過ぎ程無く至る梅園竹村歩道に掛かる三本目の吊橋、仁愛吊橋。これもタウサイ渓に直接掛かる吊橋ではなく支流に掛かる。右二枚の写真は、この仁愛吊橋と最後の吊橋である陶賽吊橋との間の歩道、即ち日本時代の旧警備道の雰囲気を濃厚に残した部分。(続く)
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2012年02月18日

合歓山越嶺古道−28(梅園竹村歩道−7)

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【写真説明】左写真、忠孝吊橋入口で若い夫婦に出会う。忠孝吊橋は「合歓山越嶺古道−25(梅園竹村歩道−4)」左写真で紹介した警告板写真に採用された。タウサイ渓左岸の支流に掛かる吊橋先端が進行方向左側から雪崩れ込んできた土砂で断裂していた。それが中央写真である。右写真は忠孝吊橋に並行に残る日本時代敷設の鉄線橋残骸。梅園竹村歩道上で確認出来る日本時代の遺構は先に紹介した梅園駐在所跡とこの吊橋のみだった。

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2012年02月11日

合歓山越嶺古道−27(梅園竹村歩道−6)

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【写真説明】[梅園-2]古道俯瞰図をアップしたので、左側メニューの「合歓山越嶺古道」をクリックしてまず梅園の位置を確認して欲しい。俯瞰図では山里社(下梅園)と記載したが、梅園の現在の正式行政区域名は、花蓮県秀林郷富世村梅園である。まず秀林郷というのは、花蓮県北端の郷で宜蘭県と接している、花蓮県のみならず台湾最大面積の郷鎮だそうだ。次に、富世村だが、その秀林郷中最大面積を擁する村で、タロコ渓谷をすっぽり包含している。「富世」とはタッキリ渓河口近くにあったブセガン社の頭二文字の漢音訳である。因みに、タロコ国家公園は大部分が秀林郷内にあるが、実際は花蓮県+南投県+台中市を跨いでいる。尚、今回掲載した写真は数個しかない梅園部落の中の一戸の庭先で昼食を摂らして貰った時に撮影した。(続く)
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2012年02月04日

合歓山越嶺古道−26(梅園竹村歩道−5)

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【写真説明】[梅園-1] 梅園竹村歩道と蓮花池歩道の分岐から大崩壊部を経て次のマイルストーンは梅園、この間約3キロの距離だ。大崩壊部を抜けてからはそれまでとは多少景観が変化する。上掲左写真は梅園付近から梅園竹村歩道入口方向を振り返ったもの。歩道の両側には嘗ては瑞々しい畑が散開していたと思うのだが、今は、投げやり的な調子で所々明らかに人の手になる作物が栽培されている。同中央写真は唐辛子が栽培されている様子。

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2012年01月28日

合歓山越嶺古道−25(梅園竹村歩道−4)

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【写真説明】廻頭湾入口から約3キロ付近から過去数度の台風に依る梅園竹村歩道の大崩壊部が始まる。崩壊が始まる部分には今でも左写真の「前方歩道大崩壊に付き人、車両進入禁止」の警告板とその右にはカラー写真入りの公告が掲げられていた。この公告は2010年9月、モーラコット台風から約一年後のもので、写真は大崩壊部を過ぎて更に歩道前方に掛かる忠孝吊橋の約一年前の惨状である。写真二枚目、三枚目は崩壊部入口と出口付近各々から歩道を望んだもの。

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2012年01月21日

合歓山越嶺古道−24(梅園竹村歩道−3)

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【写真説明】上左写真は、廻頭湾入口から1.5キロ付近になる梅園竹村歩道と蓮花池歩道の分岐点に立つ指導標、右写真はその指導標右手に掛かるタウサイ渓を渡る九梅吊橋、この吊橋を渡り蓮花池に至る。同地は日本時代はソワサル社が存在した場所。今回は時間が押しており蓮花池歩道を辿るのは諦めた。

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2012年01月14日

合歓山越嶺古道−23(梅園竹村歩道−2)

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【写真説明】左写真は梅園竹村歩道最初の吊橋である清流吊橋。以前の橋柱の直近にもう一つ新たに橋柱を立てていた。中央写真はその清流吊橋を過ぎてやがて梅園竹村歩道と蓮花池との分岐に至ろうとする場所から清流吊橋方面を振り返ったもの。旧警備道がどういう場所に開鑿されたかがよく判る。右写真はその分岐、嘗て梅園駐在所が置かれていた場所へ向かう途中にある道標。

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2012年01月07日

合歓山越嶺古道−22(梅園竹村歩道−1)

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【写真説明】左写真は廻頭湾にある梅園竹村歩道入口のガード、ピンクの張り紙は進入禁止を警告したもので。2010年5月の撮影。約一年半後の今回はこの張り紙は剥されていたが、林務局敷設の歩道案内板にはまだ進入禁止の警告が表示されていた。右二枚は廻頭湾駐車場に立つ索道起点。ケーブルは蓮花池付近の農場への資材運搬用である。同時に農場での作物を降ろして来る。本文記事最下段の二枚の写真は廻頭湾歩道入口から暫く入った地点の歩道、即ち旧理蕃道の様子。錐麓古道と何等遜色は無い。

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2011年12月31日

合歓山越嶺古道−21(金馬隧道)

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【写真説明】【写真説明】2011年最後の古道紹介は、人口に然程膾炙していない合歓越道路の生き残り部分である。左写真と中央写真はその旧警備道への降り口の目印となる金馬トンネルと同トンネルのタロコ渓谷側口に設けられた休憩所。この休憩所の奥はテラスになっておりそこを越えて谷側に降りていくと、右写真のように細いロープが渡されており、そのまま古道へと降りれるようになっていた。本文記事下に掲載した左写真は実際の古道の様子、右写真はこの段が嘗ての警備道だったことを物語る路側石、「浸水営古道−3」や「関山越嶺古道−14」(左写真)に掲載した写真に写る敷石と同様なものである。

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2011年12月24日

合歓山越嶺古道−20(旧深水温泉)

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【写真説明】左写真は中横脇にある文山温泉への入口で当時は立ち入り禁止、今も実際はそうかもしれないが、湯治客は後を絶たない。中央写真は同温泉の更衣室。五年以上も使われていないので荒れていた。右写真はトウサイ渓を対岸に渡り川底の温泉に降りていく為に渡された、その名も「温泉橋」。本文記事下の写真が文山温泉全景、入浴する場所は右側である。

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2011年12月17日

合歓山越嶺古道−19(文山歩道)

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【写真説明】左写真は、嘗ての合歓越道路支線、今は文山歩道と呼ばれる段の北側出入口に掛かる吊橋、タッキリ渓の支流の一つ、トウサイ渓上に掛かり、文山温泉(旧深水温泉)を見下ろせる。中央写真はその北側入口に据えられた立ち入り禁止の警告板。同内容の警告板が同歩道南側入口にもある。右写真は緑水側から同歩道に侵入し暫く進んだ場所で見掛けた村落遺跡と思しき石垣。もしそうであれば嘗てのドヨン社のものか?

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2011年12月10日

合歓山越嶺古道−18

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【写真説明】錐麓古道の段には二箇所、岩盤を刳り貫いたトンネルがある。その西側入口(慈恩橋方面)に近い方のトンネル(左写真)の慈恩橋側入口脇の岩盤に地蔵菩薩が安置されている。日本時代のものだ。逆の入口(錐麓吊橋方面)の断崖側側面に日本人に拠る落書きが残っている。それが右写真だ。「落書き」と書いたが、何処でそういう単語を拾って来たか想い出せないのだが、暫くは勝手に、戦前に当地を歩いた日本人遊楽客が記念に彫り込んだものだと逞しい想像をしていた。しかし実際に彫られた「大正」と「開鑿記念」の文字を拾い出してみると、この落書きは単なる余興ではなく、この段を開鑿した際に彫られたものではないか?と思わざるを得ない。落書きではなく、私家版開鑿記念碑だという意味だ。そうすると、地蔵菩薩の安置も二つの可能性が出て来る。即ち、開鑿後この段を行き交う人々の安全を祈願したものか?開鑿中の殉職者を弔ったものか?

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2011年12月03日

合歓山越嶺古道−17

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【写真説明】緑水合流歩道の4枚。同歩道は錐麓古道の西側延長部に相当する。休息施設が各々完備された緑水(西側)と合流(東側)を結ぶその総延長僅か二キロ足らずの歩道で、両側出入口が中横脇にある為、誰でも気軽に散策出来る。左一枚目は、合流入口に近い古道の様子、左二枚目は、古道途中にある「弔霊碑」、日本人警官合計四名の合同殉職慰霊碑、当時の殉職とは殆どが馘首。右側二枚は、緑水に近い側の古道の様子。右端写真は、古道と現代自動車道たる中横の関係を見事に切り取った一枚。

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2011年11月26日

合歓山越嶺古道−16

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【写真説明】いよいよ錐麓古道核心部の数葉を掲載するが、大きな写真サイズを提供出来ずに申し訳ない。代わりに本部ブログ左側メニューの『日経ギャラリー』第4回目記事を参照にして欲しい。私の素人バカチョン・デジカメの限界も然ることながら、垂直の断崖に開鑿された道路の凄まじさを表現仕切れなかったもう一つの原因は、当時私の前後にハイカーが存在しなかったことだ。古道上にそこを実際あるくハイカーが写り込んでいればいとも容易くその凄まじさが表現できたのだが。

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2011年11月19日

合歓山越嶺古道−15

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【写真説明】:錐麓古道の駐在所三箇所の跡地の現況を示す写真を掲載する。左から、バタカン駐在所、断崖駐在所、錐麓駐在所。バタカン駐在所跡地の規模は広大で、今回掲載した写真以外に当時の遺構が豊富に残るが、他の二駐在所に関しては総じて写真を見ての通りである。各駐在所跡には林務局に拠り当時の間取り見取り図が案内板で紹介されている。

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2011年11月12日

合歓山越嶺古道−14

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【写真説明】錐麓古道の東西入口は両方とも橋が目印である。左写真は東側入口である錐麓吊橋、中央写真はその吊橋越しに断崖道路が開鑿されている方面(向かって右側の岩盤上方)を望む。右写真は西側入り口である慈恩橋。

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2011年11月05日

合歓山越嶺古道−13

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【写真説明】錐麓古道を歩く為には事前に二種類の許可証の取得が義務付けられ、且つ、一日の入山者数が制限されている。左写真は古道東側入り口である錐麓吊橋への門。古道中には各所に二枚目写真のような指導標が設けられハイカーの便宜に供されている。本古道の性格柄、右二枚の写真のような様々な警告板が立てられている。中文+英文の表示だが、日本人にも即座にその意味が判るはずである。

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2011年10月29日

合歓山越嶺古道−12

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【写真説明】左写真は九曲洞付近から錐麓断崖を見上げたもの。同断崖の中央部を横断する道が微かに見えているのであるが掲載した写真では判別が難しい。中央写真は同断崖をズームして撮影したもの。これだと道らしきものが見て取れる。右写真は錐麓駐在所跡付近から断崖を横断する旧警備道を望んだもの。

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